映画「何者」を観たら、東宝の人事Aさんを見つけました。
2016年10月26日。
映画「何者」を観てきた。
中田ヤスタカが音楽やってるとか、二階堂ふみに菅田将暉にもろもろ好きな役者がでてるとか、原作は朝井リョウで監督は三浦大輔(双方早稲田卒)だとか。
原作読んで内容を知っていても観に行こうと思っていた要素は多々あるんだけど。
「今、観て良かったな」と思えたのは、東宝の人事Aさんが映ってたから。
就活で唯一、面接前に手が震えてお腹がキリキリ痛くなったのは東宝の一次面接だった。
それはきっと、大学3年の夏にインターンシップ最終選考で落ちて以来「映画興行のリーディングカンパニー」から「目指したい場所が見える会社」に変わり、出版社の他に唯一強く意識していた会社だったからだ。
2月、映画関連の説明会で話していた人事Aさんを知る。帰り道で遭遇し、TOO YOUNG TO DIEの安否を尋ねた。
3月、人事Aさんは大学の学内説明会にも来ていた。もう顔を覚えていた。
そして某月、一次面接にいた面接官二人のうち、一人は人事Aさんだった。すぐに誰かわかった。
一次面接では隣で話していた男の子が「アルバイト先は映画館」「年間300本観ます」と、なんとまあ映画業界を受けるような人物だった。
私は私で、映画宣伝への考え、漫画オタクであることをぶら下げてなんとか受け答えた。あとはシナリオ通り退出するだけだ。
しかしここで、就活において最初で最後の「聞かれてもいないことを話す」事件が起こる。
「…あの、2月の説明会にも登壇されていましたよね」
「ああ、はい」
「その日にTOO YOUNG TO DIEの公開日を聞いた者なんですが…公開日決まって本当に嬉しいです!楽しみにしてます!」
「あ、良かったです。ぜひ観てくださいね。」
「はい!…すみません、どうしても言いたくて…ありがとうございました。失礼致します。」
そうして一礼し、部屋を退出した。
以前突発的にした質問、「TOO YOUNG TO DIEの公開日」がその頃には決定していたのだ。
映画の宣伝部を志望していた自分にとってあの映画の延期は、作品と社会の兼ね合い、映画の持つ影響力を実感した印象深い出来事だった。
番宣のためにテレビ出演していた神木くんも長瀬も、宣伝せずに放送が終わる。
この瞬間のために、何人がスケジュールを調整し、仕方のないこととはいえ、と落胆していたのだろう。関わっていた人の姿をテレビ越しに想像した。
それ故、つい言わずにいられなかったのだ。
これで落ちたかもしれない。扉を閉めた後、我に帰った。
面接で隣だった人は特に触れないでくれたが、「やってしまった…これが就活か…」とビルの出口へ歩きながら思った。
とはいえ、一次面接は通過。
東宝とご縁がなくなったのは、その次に行う筆記試験後だった。
後日、お祈りされた時は間違いなく初めて、「就活によるショック」を経験した。
心の行き場がなく、通知に気づいたバイト後は上の空。カラオケに行き、ゼミの同期を飲みに誘い、帰る頃にやっと少し立て直し。
そんなことを気にしていられない、原因も心当たりがある、と思いながらも、夢への道を一本失ったことを強く感じていた。
「終わっちゃったなあ…」
就活が終わった頃には、手に入らないものほど輝いて見える私にとって、東宝の人事Aさんは一種の「思い出のあの人」となっていた。
そこで冒頭の話に戻る。
映画「何者」にはたびたび選考シーンが映るが、終盤に主人公が1分間の自己紹介スピーチをする場面がある。
展開的にもクライマックスだ。
そこで右端に映っていたのが、「思い出のあの人」である人事Aさんだったのだ。
その瞬間、主人公の台詞どころじゃない。
私の頭に回想されるのは私の一次面接に切り替わった。
「心から良いと思える作品を人に伝えることが最大のモチベーションで」
「映画における宣伝の重要性と多様さが」
「東宝のビジネスにおける姿勢に共感し」
こうして書くと、なんて陳腐になってしまうのだろうか。
何者でもない私が、あなたに志望理由を話したのを、私は今でも覚えています。
あの1シーンに過ぎった記憶と感情を、やはり1分で話すことは出来そうになく、こうして書き留めています。
人事の方が映画に出演する、というのは東宝といえどなかなかないことだろう。
そんな映画を自身の就活直後に観ることができた。
就活をテーマにした本作品とやや違った主旨の見方ではあるが、巡り巡って、これもまた思い入れのある作品として刻まれたように思う。
互いによく知りもしない就活生と人事は、勝手に好いたり好かれたり、嫌ったり嫌われたり。
就活が終わればそれまでの縁のように思っていた。
夢は努力で叶えるものだと、『バクマン。』が教えてくれた。
これから私は、自分の足で土俵に上がることができる。
なら、また夢の一つに向かうしかない。
追記