浮世絵販売が行われていたので、立ち止まって見てみた(2)
(1)の続き
浮世絵販売が行われていたので、立ち止まって見てみた(1) - 縁猫〜縁側で猫と暮らしたい〜
2016年現在、情報は無料(タダ)だという感覚になっていて、私も同様です。雑誌を立ち読みしても買わないことになんとも言えません。
インスタグラム盛況期の今は、ライフスタイルが好みな人や趣味が同じ人のアカウントをフォローしていれば自然に情報を受け取れますし、
好きなブランドをフォローしていれば雑誌よりも早く新作を見ることも、リアルタイムで店頭やセールの情報を知ることも可能です。
可愛い子が見たかったら、おいしいお店が知りたかったら、流行をキャッチしたかったら。これまで雑誌に求めていたことは正直、インスタグラムにあります。
誌面のように目を楽しませてくれるセンスのある人がいるし、スタイリストさんは自分で発信してくれるし、広告すら料理動画を流してくれる。
そのアカウントをインスタグラムで見つけるのが先か、雑誌や書籍を見てから探すのが先か、ってくらいです。
中でもインスタグラマーは、自分のホーム画面や発信スタイルに統一感をだしてそのこだわりを貫いて安定した頃から人気に火がつく流れが多いので、その自己プロデュースは編集のそれだと思います。
リアルな気持ちは、雑誌が溜まると捨てるのは面倒。たまに気に入った表紙だったら買おうか悩む。最近付録を目当てに買う気持ちもわかってきた。そんなところです。
けれど。
時代のアイコンとなるモデルを育ててきたのは雑誌です。同様に、マンガ作家を育ててきたのも雑誌です。週刊少年ジャンプなくしてONE PIECEは読めなかった。
さらなる個人的気持ちで言うと、週刊ヤングジャンプなくしてキングダムは読めなかった。
それがどういうことか、想像してみてください。(ここからはマンガについての話になります。)
どうして出版業界は個人だけでなく、編集や校閲、営業と多くの人が関わる業界となったのかを考えてみました。
同じ文化と括られる中でも、絵画や彫刻の作品は大抵一人で作り上げてしまうのに、なぜ出版は違うのだろう。そこに差があると考えます。
まず大きな差として、出版は印刷技術、今ではデジタルの力によって、多くの人に向けて同一のものを提供できます。
対して、絵画や彫刻の良さは生でしか感じられない質感や温度、複製するにも技術がいる希少さが含まれています。だからこそ、多くの人が体感できるよう美術館が存在し、個人の手元に置きたい人は高値でやり取りする。
浮世絵のおじさんも、「質で商売している美術館はなくならないよ」と豪語していました。
ひとつの絵画が数千〜数万で取引されるとして、緻密に練られたストーリーと絵が合わさったマンガという作品がどうして420円で読めるのか。子供の頃の自分たちには気軽に買えるものではなかった分、一冊一冊、作品を大切にしていました。でも、子供が楽しめる距離感の存在だった。
ましてや、一般の人がネットに公開しているマンガをどうして無料で読めるのか。
対価を払わずに得ているものの価値とはなんなのでしょう。
そう考えていると、商業マンガとして雑誌に連載しているマンガは出版社の保障付きなのではないかと思えるようになりました。
野菜やお肉を買う時に、海外産より日本産の方が安心できます。洋服や機械製品も産地やブランドによって安心感や満足度が変わりますよね。
出版社でマンガを連載している人は、少なくともその看板を背負ってきた先輩作家の方々を見ています。しのぎを削ってきた人も励まされた人もいるでしょうし、的確なアドバイスをいただいていることもあるのでしょう。これは記事から読み取れる想像でしかありませんが。
どこの社会にも先輩や同僚、後輩から刺激をうけながら高みを目指す環境は、良い成長を生むのだろうと思います。
それに、そんな人の気持ちを知っている人が描いた作品こそ、読んでいて忘れられない作品になる。ONE PIECEもキングダムも、熱狂を巻き起こしている作品の人を通じた熱さといったらないです。
個人で食いつないでいくには、マンガの単価は安すぎる。一度下がった単価を上げることは難しいと、私にもわかります。それを個人で単価を上げようというのならなおさら。
そしてマンガは広く読まれるために、楽しまれるために、ワンコインで売られている。
だからこそ、作家さんが育つ環境、謝った情報を広めない関所、その作品を売るための体制が出来上がった。それが出版社だった。
と、私は思っています。(実際どうなのかは、出版社が設立を始めた当時の人にお聞きしたいところですね。)
さらに、マンガは「情報」ではなく「作品」なので、多くの人が発信できるものではありません。
ましてや「お金を出してまで読みたいと思える作品」は、情熱をかけて、人生をかけて、練られたものなのではないでしょうか。
そんな作品を、時にはタダで読んでいる自分が不思議です。マンガアプリの試し読み大好きなのだけど…。
アイドルブームが続いていますが、あれもまた「彼女たちの物語」というコンテンツのように感じます。
若くて、可愛くて、キラキラした世界に憧れる女の子たち。
そんな彼女たちが成長していく物語に、ファンとして参加し、支えていく。 彼女たちが自分の時間、ひいては人生をかけて努力して悩んで戦っているからこそ応援したくなる。
そこで、「応援=投資」という形で示さないとですね。実際、商業コンテンツを楽しみ続けるには欠かせないことです。
今、マンガアプリでたくさんのマンガが無料で試し読みできますよね。
それってどうなのだろう…と既にマンガ好きの私は思っていたのですが、「マンガ好きの始まりはタダでマンガを読むことから」だと思い出しました。
まだ5、6歳の頃、お父さんが揃えていた『ドラゴンボール』を内容を覚えるまで読んでいました。面白いのもそうなんですが、他に読めるマンガがなくて(笑)
姉がいる私はその後、姉が集めたマンガを片っ端から読んでいきます。『魔法陣グルグル』『ママレード・ボーイ』『封神演義』…、どれもタダ読みです。
お小遣いをもらえるようになってやっと、好きなマンガを買い始めました。
確かに雑誌を買う人は少なくなって、コンビニで立ち読みする子供も少なくなって、学校でタブレットを配布しだすくらい紙に触れる機会は減っている。
けれど、それは「マンガの面白さ」が損なわれているわけじゃない。
アプリだろうが雑誌だろうが、デジタルだろうが紙だろうが、まずは読むことから。結果、マンガを好きになってくれれば本望だと。
一瞬でお金を払うくらい好きになることも、そこまで好きになるには時間がかかることも、両方ある。
それに気づくのに、遠回りをしていた気がします。やっぱり、言葉にして考えるのって大切ですね。
コンテンツの種類が増えた分、日本市場から得られるコンテンツあたりのお金が減っていくのはどこの既存コンテンツも同じなのでしょう。(定額制配信の定着によってどれだけ変化が生じるのかはこれからですね。)
今の子供って本当にYoutuber好きらしい。
高校の授業や文化祭をきっかけに初めて動画を作っていた私たち世代と違って、今はスマホひとつで簡単に動画編集ができる。
塾通いの子に携帯を持たせる文化が未だあるのなら、きっと小学5、6年生がスマホを持っている時代だ。そんな子たちならきっともっと、動画にフォーカスした新しいコンテンツを作ってくる。
かつて授業中に生まれていたマンガ描きは、動画クリエイターになっていくのかもしれない。
けれど結局、自分の創造した世界を一番簡単に表現できるのって文字か絵なので、物語を作る人はそれが紙であれデジタルあれ、一時期はマンガを描いてくれると願いたいです(笑)
以上、大変長くなりましたが、
・マンガは情報ではないので、(部分的に読めても)タダ化はしない
・そもそもマンガ好きになる前はタダ読みしてたよね
・デジタルでも紙でも、マンガの入り口が多いに越したことはない
新たなる疑問
・今の小学生ってマンガ描くの?動画編集できたりするの?
と、まとめて終わりたいと思います。
浮世絵を見かけたところからあれこれ考えて、たどり着いたマンガ論はこんなところでしょうか。
(書くと長くなってしまい、読みづらいのが今後の改善点だと自覚しました。)
お疲れ様でした!